9月25日リマ、ラルコ博物館。
ペルーアンデスを中心に興ったアンデス文明は遡っても
4000年前に始まったとされていたが、1984年に北部砂漠地帯で
発見されたカラルの遺跡にて5000年前まで遡ることになる。
4大文明に並ぶスケールを持つカラルの町の発掘は、
技術もより発達した現在の発見に、
かなり鮮明に5000年前が蘇っている。
リマはインカ征服者のピサロがアンデスの黄金を積み出すため、
何もなかった海岸線に建設された首都と思っていたが、
町の中からは神事を行ったいくつものピラミッド(ワカ)も
出てきている。
カラル遺跡からは織物や陶器は出てきていないが、
上の茶瓶はチャビン遺跡からの発掘品。
ペルー中北部、アンデスの西側で紀元前2000年頃から文明社会
があったとされている。
クスコを都としたインカ帝国はあまりにも有名で、1536年に
スペイン人に征服されるまでの約200年間の文明と、それ程
昔の事ではないが、
クスコやマチュピチュに見る石像技術に
治金や陶器に織物、農業技術に社会主義的社会に太陽を中心
とした自然崇拝、、、
等はインカ以前のペルー5000年の歴史の
中で生まれたもので、ペルー各地で起きた文明の衰退はすれど
受け継がれたものの集大成と言える。
(インカ以前に興った文明をプレインカ時代と総称する)
ラルコ博物館では、20世紀初頭にラルコ氏個人が収集した物を
見ていくが、上の土器なんかは3000年前のチャビン遺跡からの
発掘品。
北部海岸に1世紀から7世紀に興ったモチェ文明の土器には
色が出て来た上細密な宗教観が描かれる。
これは500年前のインカの土器だが、アンデス文明最新にして
最初の発見となるインカ時代の物の多くは、スペイン人によって
破壊されてない。よって珍しいインカ時代の土器。
2000年前南部ナスカの砂漠で興った文明では、織物が
美しい。砂漠の地下を流れる地下水を利用して綿花の栽培をし
美しい織物が沢山出て来た地域だが、これなんかは鳥の羽根を
編んだものだ。
これもモチェからの土器だと思うが、描かれるテーマは戦い。
他の4大文明では武器が盛んに作られたが、アンデス文明は
平和だった。木の棒の先に青銅を付けてたたき合った武器や
布に巻いて投げた石ころ等可愛らしい武器の展示。
2000年前、戦いで頭を負傷した男の頭蓋骨には外科手術を
施した形跡がある事もまた驚き。
戦いの勝者。
インカの200年、理想的な社会主義体制の確立は統計の管理
から。このキープという縄の色で物質を長さで数を中央に
届けた。
金に価値がなかった(通貨の存在がなかった)故、スペイン人
はクラっときておかしくなった。スペイン人でなくても
クラっと来る金の輝きは、太陽信仰において王を太陽の輝きと
錯覚させるのに絶大な効果を放った。
その輝きはインカ時代の治金技術において更なる輝きを増し、
スペイン人を狂わせた結果、インカ帝国及びアンデス文明は
終焉を迎える。
今回はラルコ博物館にて、マチュピチュに行く前のアンデス文明
(プレインカ時代)の予習をしたが、リマ市内には日本人
天野芳太郎氏による収集品を展示する天野博物館や、
リマの実業家ガーヨ氏の黄金博物館に、国立博物館と
アンデス文明に魅了された人たちのコレクションを見ることが
できる。
ラルコ博物館のレストランでピスコサワーと美味しいペルー料理
を食べてリマを出る。