十月、です。
今月のニャン
ではでは、恒例でありますので・・・Wikipedia より抜粋一部改変
10月
10月はグレゴリオ暦で年の第10の月に当たり、31日ある。
英語での月名、Octoberは、ラテン語表記に同じで、これはラテン語で「第8の」という意味の "octo" の語に由来している。
一般的な暦では10番目の月であるが、紀元前46年まで使われていたローマ暦では、
一般的な暦の3月が年始であり、3月から数えて8番目という意味である。
日本では、旧暦10月を神無月(かんなづき、かみなしづき)と呼び、
新暦10月の別名としても用いる。
異名:
かみありづき(神在月)[6]、かみさりづき(神去月)、かみなかりづき(雷無月)、かんなづき(神無月)、けんがいげつ(建亥月)、こはる(小春)、しぐれづき(時雨月)、じょうとう(上冬)、たいげつ(大月)、はつしもつき(初霜月)
10月の季語
長月、秋の日、秋晴、秋高し、馬肥ゆる、秋の空、秋の雲、秋の山、秋の野、秋風、秋の声、 秋の暮、秋の雨、初紅葉、薄紅葉、桜紅葉、茸、初茸、湿地、椎茸、松茸、松茸飯、新米、
新酒、 濁酒、稲、蝗、ばつた、稲雀、案山子、鳴子、鳥威、落し水、秋の川、渡り鳥、小鳥、鵯、百舌鳥、鶉、 懸巣、椋鳥、鶫、頬白、眼白、山雀、四十雀、鶺鴒、啄木鳥、木の実、桃、林檎、石榴、梨、柿、吊し柿、 無花果、葡萄、通草、椿の実、山梔子、杉の実、山椒の実、
烏瓜、数珠玉、秋祭、菊、菊人形、野菊、 温め酒、牛祭、後の月、砧、やや寒、うそ寒、
肌寒、朝寒、夜寒、べったら市、落花生、蕎麦、葦、荻、 火祭、木の実落つ、樫の実、栗、
栗飯、団栗、胡桃、銀杏、棗、稲刈、稲架、樅、秋時雨、露霜、冬支度、 蜜柑、橙、朱欒、
金柑、柚、秋深し、冬近し、紅葉、紅葉狩、柿紅葉、銀杏紅葉、蔦、蔦紅葉、草紅葉、鹿、猪、行秋、暮の秋、秋惜
????????????
10月は、
自分の誕生月であること、父の祥月命日であったり・・・
等など感慨や想い出深い、特別な月であります。
それと、以前から、何かと会が多かったり
また、今月は唐突な解散、そして小池劇場
総選挙、と
まぁ忙しい月であります。
さてさて、
今年の10月はどんな月になりますか。
ニッポンの明日の姿は???
皆さんにとっても素晴らしいひと月でありますように
念じます。
使徒行伝6:9 (新改訳)
ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、
クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤからきた人々などが
立ち上がって、ステパノと議論した。
(アァメン)
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
「リベルテンの会堂」を、新共同訳では、「解放された奴隷の会堂」と
記している。辞書には、(自由人たちのシナゴーグ)とある。
※リベルテン⇒ラテン語のリベルティノス⇒「自由を得た者」
”前63年ローマのポンペイウス将軍がユダヤを征服した時に
捕らえられ、ローマに連行された人々が、後に釈放され、
自由人となり、ローマの市民権を取得した。その人たちが
エルサレムで形成していたシナゴーグであるという説がある:
ユダヤ人は紀元19年頃ローマから追放された:
この会堂には、クレネやアレキサンドリヤから来たユダヤ人が
集まっていた。そして、神学的な理由からステパノに逆らったが、
彼の知恵と正しさには勝てなかった。
そこで偽りの証人を雇ってステパノを告訴し、石打ちの刑に処した。”
(新聖書辞典P314/P1526)
偽証をすることは、”罪”ではなかったか?・・・。
初代教会最初の殉教者となった、ステパノ。
ところが、ステパノの殉教を期に、エルサレム教会への迫害は加速し、
それが、”サマリヤへの伝道や異邦人宣教のためにユニークな役割を
果たすアンテオケ教会の誕生への道を開いた。”
その、ステパノの殉教の場に、後の大伝道者となる「パウロ」がいた。
なんとも、不思議な感じだ。
「シナゴーグ」とは、一体どんなところで、何をどのようにしていたのだろう、という素朴な疑問。
今更ながらではあるけれど、手引書の結論どおり、
”シナゴーグ礼拝は、キリスト教礼拝の母型として、摂理のうちにおか
れたもの”と解釈してよいのだろうと思った。
イスラエル国家は礼拝共同体そのものであった。
”神殿礼拝”には”いけにえ”が献げられたが、
シナゴーグ礼拝では聖書朗読が主体となった。
神殿崩壊によって、遠き異国の捕囚の民たちが造り上げたものとして
シナゴーグ礼拝は誕生した。これは、新約以後、民族を超えた礼拝共同体の型となり、個々の信仰者の総体となった。”シナゴーグ礼拝”は時代の中間の過程として発生し、大切な役割を果たした。
※シナゴーグ礼拝の五つの部※
1)シェマ朗唱
申命記6:4〜9、11:13〜21、民数記15:37〜41
冒頭が「シェマ・イスラエル」(聞きなさい、イスラエル)から始まる。
2)シナゴ−グの祈り (繰り返される18の祈り)
・イスラエルの再建
・神殿に臨在の栄光が輝くこと
・エルサレムの再建
・ダビデの王朝再興〜〜etc・・
3)律法書朗読
・モーセ五書を3年間で通読⇒現在は1年間で通読
4)預言書朗読
(朗読箇所は読み手の裁量にまかされた)
※主イエスは、イザヤ書を詠んだ(ルカ4:16〜)
5)解き明かし
・朗読の後、預言書の解き明かしがなされ、字句の解説の後で、
実践的な勧めがなされた。(出席者中にたまたま教師の資格を持つ者
があれば、その場で依頼して、勧めをしてもらう風習があった。)
これらをみてみると・・・、
現代のキリスト教会の礼拝の流れにも似ている、と思った。
ただし、その頃のシナゴーグでの公の礼拝を行うためには、
成人男子10人の出席が必要であったというから、・・・・
ちょっと、しんどいかな・・。
開拓伝道をされた牧師先生方のお話を聞くと、
ご自分の他、誰もいないところで「礼拝」をなさったということも・・。
(もちろん、空気に向かって「説教」をするようなものですから、
どんなものなのでしょうか・・・。(・・;))
ところが、とある先生のお証しによると・・・、
誰もいないはずの空の席に、「天使たち」が座っていた、という・・・。
侮るなかれ・・・主の名による「礼拝」・・といったところでしょうか。
”離散のユダヤ人たちの間では、バビロンなどの環境において律法を
守るとはどういうことであるのか、それについてさまざまな思想があり、主イエスの時代には多くの流派が存在し、それらの間で絶え間ない論争が繰り返されていた”(新聖書辞典P313)
異教の地で”信仰”を守り抜く、貫き通すこと。
大変な課題だ・・・。制限、制約も多い。軋轢もある。
わたし(たち)にとっても、課題だ。
そんな窮屈さやしがらみから、
引き出してくださる方が与えられた。
多いに喜ぶべきところ、
目も耳も鈍くなったところには、届きようがない。
今いちど、わたしも、”自由”、”真理に隠されたる眞の自由”
を悟り、実践できたらと、心から願い、欲する。
つづく