ああ我は空征く旅鳥
敵空母必沈
海鷲 神社澄
呉志飛第7858号
注※呉志飛とは予科練の認識番号
二月十一日(月)晴れ
五日前に風邪気味、全身倦怠感ありその上咽喉痛めて少し調子が悪い、桜花隊総員起床四時半寒風を衝いて行軍鹿島神宮へ参拝、紀元の佳節を新たなる決心で誓った。
日時不明
早朝、清々しい大気を呼吸しつつ神前に頷く時の神聖なそこには一点の曇りもなく、身も心もおのづと潔らかになる今日自分はつくづく考えた。
自分、修養してかんがえなくてはならんと。
二月十六日(金)晴れ
敵艦載機本土来襲、いよいよ敵の我本土空襲も本格的になってきた、今日はここの飛行場も相当の被害を被った。
自分は生まれて初めてこんな激烈は銃爆撃の体験を得た、これまでは我が帝国は敗北の一路をたどるより他に道はない、
この国家の危急を救うには我々の活躍に依るより他はないのだ。
思えば皇統連綿たる三千年の歴史を持つ我が日本が勝つか滅ぶか。
天下分け目の決戦だ、千載一隅の好機を得て今日の時代に生を享けたる光栄を感激しなければならぬ、
この光輝ある歴史を受け継いだる我々はより以上尊き歴史を生しまして後輩に授けなければならない義務があるのだ、
それは現在我々の任務を全うする事なのだ。
次回に続く
※原文から手入力で起こしている為、誤字脱字等がありましたらお詫び致します。
参考資料
所属部隊:神雷特別攻撃隊桜花隊
階級:海軍一等兵曹
氏名:神社 澄(かんじゃ きよし)
生年月日:大正十三年一月八日
没日:昭和二十年八月二十四日 享年二十二歳
出身地:岡山県倉敷市(旧帯江村)
小熊談
2015年2月、岡山県岡山市の西大寺会陽(裸祭り)見学で訪れた際、ついでに護国神社巡り(御朱印巡り)で訪れた岡山県護国神社。
境内には宝物遺品館(資料館的なもの)があり、申し出て見学させて頂いた折、資料が展示されてる棚の上に無造作に置かれた古いアルバムが目に入りました。
よくありがちな戦死した遺族が寄贈した当時のアルバムかな〜と思い、何気なく開いてみると「うわぁ〜」と思わず言ってしまいそうになる位、溢れ出す何かが・・・オーラとでも表現すればいいかな、このアルバムの持ち主のとめどなく湧き出てくるような思いが「どわぁ〜」っと感じてしまい、思わず我を忘れて一頁一頁撮影してしまいました。
その時は持ち主が誰かさえ分からぬままアルバムを見ていたのですが、内容は海軍航空隊と思われる複数の隊員がメインのプラーベート写真やら肖像写真やら部隊集合写真等があり、時代的には太平洋戦争末期のような感じがしました。
おそらくこの被写体であった隊員達の何名かは確実に特攻隊へ行ったはず、戦死しているはず、と思うと、持ち主は「戦死した戦友の姿を遺しておきたい!」と絶対そう思って、空襲や機銃掃射に見舞われる中必死で守ってきたのではないかとアルバムを見て僕は感じ、涙がとめどなく溢れてきました・・・。
そしてアルバムに残された持ち主らしき名前から(珍しい苗字でしたので)個人が特定できまして、調べていくと正に御本人は特攻隊に所属していたのです。
その経歴を辿って行くと最期は・・・「決して歴史の闇に埋もれさせてはいけないわ〜!」と強く思ってしまう最期でした(後程ご紹介致します)。
調べて行くと昭和二十年一月から彼の日記が残されているのを地元倉敷の図書館で見つけてコピーを手に入れる事ができました。
日記の内容と今回から掲載するアルバムの写真とで、一人の桜花特攻隊員の清く熱い想い・・・いや、ごく普通の青年の心の動きを皆様に感じ取って頂き、この様な悲劇が二度と起きぬよう隊員達への供養の意味も含めてご拝読頂ければ幸いです。
以上、長丁場になりますが宜しくお願い致します。
追記
2017/9/29
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