森本哲郎さんの著書「ある通商国家の興亡 カルタゴの遺書」にある文章ですが、この本はひじょうによく売れたベストセラー本だったと思います。あらためて見てみると、アッシリアについて、さらりと上のようなことが書いてあります。
Amazon |
アッシリアに従うなら、残忍な処置は取らなかった。財と貢物をよこせばいいと。
しかし、これを指して、寛大な覇権国家だったと言うことは出来ないでしょう。
チンギスハンの大モンゴル帝国もまた、宗教的には寛容であった、何を信じようと別に問われなかった、などと高評価する向きもあったかと思いますが、これは寛容だったのではなくて、無関心だったのではないでしょうかね?
モンゴル帝国に、国教と呼ばれるような精神的支柱があったという話は聞いたことがないし、要するに、国家に対して脅威とならなければ、支配下の人間が何を信じようが別にどうでもよかった。それを指して寛容というのは当たらないでしょう。それは無関心であり、支配者層が宗教に対しての深い関心を持っていなかった、という意味ではないだろうか。
このあたりが、イスラムの宗教国家とはまったく違う国家体制に思えるし、君主の精神的なる資質ですね、これにも違いを感じる。
ローマ帝国滅亡後に、西ヨーロッパに帝国を再興させたカール大帝は、宮廷で学者によってアウグスティヌスの書を朗読させ、それを聴くのを楽しみにしていたといいますよ。
それ以前、東西ローマ分裂の際の皇帝テオドシウス1世は、ミラノ司教アンブロシウス(アウグスティヌスの師)に教えを乞い、宗教の権威の前に、その政治判断の是非を素直に伺い、反省する心を持った人でしたしね。
統治者の宗教的資質はいかに?というのは、その国の国家観そのものの違いになって現れる、というのが、歴史を見ればわかります。
宗教に無関心の統治者はあかんでしょう。
ゲルマン民族の大移動によって、西ローマは滅びたと言われますが、そのとき、イタリア半島を押さえた東ゴート族の王は、テオドリックという蛮族王でしたが、この人はキリスト教徒であり、ローマ教会を保護しこそすれ、破壊するようなことはしませんでした。
このテオドリックは、のちのドイツ叙事詩「ニーベルンゲンの歌」に登場する勇者ディートリッヒその人です。
話をアッシリアに戻しますが(笑)、(脱線しすぎや … )
大国エジプトの力が衰え、レヴァント地方(地中海の東岸一帯)に対するエジプトのにらみがきかなくなると、アッシリアはすぐさま、この地域に進出した。ここには欲しいものが山ほどあったが、とくに彼らがねらったのは王宮や神殿を建築するのに必要な木材だった。
このアッシリアの、商業嫌い、というか、そんなまどろっこしいことをするよりも、すでに富んでいる諸都市を併合してしまえ、という方針を見ると、どこぞの国を連想してしまいませんかね?
ちなみに、アッシリアの最大版図はこの図の通りで、西はユダヤの地、エルサレムも完全に支配下に置いているでしょう。
これは、旧約聖書を読めば、ユダヤがアッシリアに征服された時の話がきちんと載っていますし、
それから東を見れば、バビロンを超えて中東にまで進出しているのがわかりますし、バビロンといえばハンムラビのバビロニア王国の首都だし、バベルの塔の伝説もここにつながっているのだとしたら、聖書伝説やらハンムラビやら、シュメールなども、このオリエントの埋もれた歴史に、その伝承のルーツがさまざまに隠されている、ということなのでしょうかね。
アッシリアの最大版図は上のような範囲に及ぶわけですが、
つづく文章にあるティグラトピレセル王というのは、これ別名プル王と呼ばれる王で、例のチンギス・ハンの過去世は、こいつなんじゃね?と推定されている人物ですね。
商売による経済繁栄がめんどくさいアッシリア王は、手近にあるフェニキアの諸都市を次々と併合していった。
フェニキア人は海洋民族で、沿岸に作った都市国家を起点として、地中海に船で出て、海洋貿易を盛んに行った民族ですよ。
のちのカルタゴは、このフェニキア人が作った都市ですしね。もっとも、ここの信仰は悪名高いバール信仰だったから、バールの神ですね。拝金主義に走って、それがいつしか悪魔に変わっているのに気づかなかったために、民族が滅亡する顛末に到ってしまったのか。それは定かではありませんが。
当初のフェニキア諸都市は、アッシリア王の機嫌をそこねないように、貢ぎ物をささげることで、かろうじて生命の安全のみは確保できたのかどうか。
しかしそこに、自由はあったのだろうか。お金を貢ぎ続けなければ、生命の安全さえ守れない。財産を片っ端から巻き上げられる状態とは、どんな状態なのでしょう。
まるで「ファイナルジャッジメント」を彷彿とさせるような、某国による、我が国の経済力狙いに似ていませんかね、これ?
安全保障を、武器に負うのではなくて、金で買う。しかし金で保証されるのは、自由ではなくて、最低限の生命の安全でしかなくて、それは、生き続けさせることで、その後も継続して貢がせるためでしょう。
そんな隷属状態を指して、独立した人間の自由と呼べるのか。
怖ろしい話です。
歴史はくりかえす … 。
だとすれば、経済大国カルタゴを生んだのは、北の軍事強国アッシリアだったともいえよう。
ちなみに、アッシリアによるフェニキア人支配というのは、カルタゴ建設より、ずっと以前の大昔のことですから、
こうしたアッシリアの横暴を嫌って、地中海を西に向かって逃げ延びたフェニキア人たちが作った新都市こそが、カルタゴなのではないか。
と、著者は、カルタゴ建設の伝説を謎解きして、そのように解釈しているようです。
経済大国カルタゴの滅亡を考察して、当時の著者は、エコノミック・アニマルの国・日本への警告と成したわけで、
その視点が世間に注目されて、この本はベストセラーになったのだと思うのですが、果たして日本は、カルタゴ的な国家なのか否か。
無宗教国家であり、経済繁栄のみで満足してしまう民族のままなら、このアナロジーは当たってしまっているでしょう。
そしてカルタゴは後の軍事覇権国家ローマに、完全に滅ぼされている。
しかして日本は、ギリシアの都市国家に似ているのでしょうか。
クレタの王ヘルメス神こそが、真の繁栄の神であり、商業の神であることを、日本人が本当に知ってくれたならば、
いまこの日本には、まさにそのヘルメス神が再誕されて、日本の繁栄と発展のもとに、世界を救わんとしていることが、わかるでしょうに。
日本は、ギリシアたりえるのでしょうか?
カルタゴについて書かれた書を読みながら、ふと思ったのでありました。