昨日は、地域の皆さんと
「サークル一周年記念・韓国料理教室」を開催
料理お得意の「知人」を先生に。。。私も「生徒」の一人
美味しい「干しタラのスープとキ?パプ」を作って、
賑やかにおしゃべり。。。お食事
本当に 「楽しい時間」を過ごしました。
「韓国ドラマ・歴史・・・そして韓国語」 を通じて、コンナに
沢山の皆様とお友達になれたこと 。。。
本当に 幸せに思います。
私にとって 「韓国語と出会えたこと」 これが 「大きな財産」
これからも この「輪」が少しずつ広がって行ったらなと思っています。
そして、私の 「元気の基である」 韓国史劇に 「感謝」
。。。 と言う事で (笑)
今日はこんなことを書いてみます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
私たちのように
韓国史劇の「面白さ」 。。。大好きな方も多いと思います。
何だか気になりませんか ・・・・・・ 朝鮮時代の女性の「髪型」です。
ご存知の方も多いかとは思うのですが、
また、 例の「私の好奇心」 。。。。。。
以前から調べたものをまとめてみました。
時代によって少し形は変化してきていた様ですが、李朝鮮中期から
カッチェ禁止となった時代までに焦点を合わせ調べてみました。
ドラマ「張禧嬪」のヒビン
この 頭の上にくるくる巻いた「三つ編み」・・・・・・『カッチェ』と言います。
『カッチェ』 とは・・・漢字語で『加もじ(もじは髪という字の友が也に変わった字)』です。
(??) 日本ではこれを「かもじ」と読むそうです。
今の若者は、「かもじ」って何か知らないかと思うのですが、
女性が髪を結うとき使う、付け毛・入れ毛のことなんです。
韓国語も同じ付け毛の意味で、?? と言うんですね〜!
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
李朝鮮時代の髪型は (男女とも)
未婚の場合は 後ろで三つ編み。
(????:ムグンモリ、????:タウンモリ)
既婚の場合は 結髪。
(男性は????:サントゥモリ、
女性は ???:チョンモリ、????:オヨモリ 等)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
今回は 「女性の髪型」をまとめてみました。
????(タウンモリ)
一本の三つ編みで後ろにお下げ髪にした幼い女の子に見られる髪型。
「王と私」で、後の成宗が『思い人』と決めた
後の「燕山君」の母になる廃妃尹氏の子供時代
思春期の頃になると
一本に編んだ三つ編みを折りたたんで、??(テンギ)という赤いリボンで
結びます。
「若い頃のチャングム」です。たたんだ髪を赤いリボンで
可愛くまとめていましたね〜!
????(オヨモリ)
成人式をすませたあとの女性の髪型。簡単に自分の髪に付け髪
してあんだものを、頭に巻きます。
ちょっとわかりにくいけど、これがそうかな〜〜
チャングムの養母、 「トックの奥さん」です。
さらに、身分が高くなってくると その「オヨモリ」を
「大きく飾るように」 。。。
???(クンモリ)。。。または?? ??(アンジュンモリ)
まさにクン(?=大きい)モリ(??=頭)とも呼ばれ、
頭に(??カッチェ:付け毛)をつけ、髪を頭の上に巻いた髪型で
身分の高い女官特に女官長や水刺間最高尚宮などがした髪型です。
王后や大妃はもちろんです。
針山のようなクッションのようなもので髪を押さえました。
王妃は華やかな赤いいろ、大妃はくすんだ赤 。。。
その他、紺や黒などありました。
ドラマ「仁粋大妃」
7代世祖の長男の嫁(後の仁粋大妃)
夫である世子が王位に就かないまま亡くなり
王宮を出で二人の息子を育てますが、執念で
下の息子を「9代王成宗」に。まさに執念の母です。
粛宗の二番目の王后『仁顕(イニョン)王后』
廃妃され後に復位となった悲劇の王后
「大長今」のハン尚宮とチェ尚宮です。
そして、こんな人もいましたね。
「大長今」での最高尚宮さん。
残念ながら、お亡くなりに・・・・
カッチェは 妓生(キーセン)たちにも。多様な髪型が現れてきます。
「ファンジニ」
髪型はもとより衣装が素晴らしかったですよね
「金弘道:キム・ホンド」が書いたキーセン
「申潤福:シン・ユンボク」が書いたキーセン
身分の高い女の人の オヨモリ、クンモリは
珊瑚やヒスイ、白玉、真珠等宝石をはめ込んだかんざし、
??(トルジャム)やピン飾りを使用していました。
高いものでは「家が買えるような値段」のものも有ったとか
いつの世も(笑)女の見栄と欲でその豪華さがエスカレートして・・・・・
重さも、数キロのものも。
こうして、 女性の 美しさの「見栄と欲」 によって
どんどん、豪華に〜〜派手に〜〜なっていった『??カッチェ』
重さもどんどん重くなっていったのですね〜
これにより、 首を痛める者も続出、重さを支えるために、
椎間板ヘルニアを患う者も出るなどの混乱が生じます。
なんと、こんな話も伝わります。
『若くして嫁いだ娘が、婚家の父母に挨拶をしようとしたところ
重くて急に下に・・・・首の骨が折れて死んでしまったと』
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そしてとうとう・・・・・
1756年・朝鮮王朝21代英祖(ヨンジョ/1724〜1776)の時代、
この貧富の差が激しい中、士族・貴族・王族の婦人達による華美に走り過ぎた
このカッチェに対して「カッチェ厳禁」のお達しが出されたのだそうです。しかし・・・
にも関わらず、後年又流行り始め、なかなか・・・・・禁止には至らなかったようで、
もう一度、
1788年・正祖(チョンジョ/1776〜1800)の時代に、臣下の意見により
正式に、禁止令が出されました。
しかし実際に 「??が廃止」されたのは、正祖の息子 23代純祖の頃です。
ただし。。。妓生(キーセン)たちは19世紀末頃までつけていたそうですよ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
それ以後は、
カッチェの代わりに頭頂部につける髪飾りや帽子が使用される様になります。
かわいいですね〜〜
「正祖イサン」 のソンヨン。
まだ、図画署の絵師のころです。
「イサン」 とうとうサンの側室に
横から見た髪型です。
孝懿(ヒョイ)王后。イサンの正室。
そして、イサンの叔母 和緩翁主(ファワンオンジュ)
。。。。。。。。。。。。髪飾りも素敵です。
『実際に廃止されたのは イサン(正祖)が亡くなった後』ですから
またまた、 「イビョンフン監督」、ごめんなさ〜〜い
この ドラマ「イサン」の一連の映像も
更に。。 「トンイ」 は 19代粛宗 の時代だから
実際には、まだ 『カッチェ』 つけて居ましたよね、きっと
でも ドラマ「同伊」 映像も衣装もとっても綺麗
歴史は、あくまでも歴史 と思って
。。。。。。。ドラマ 楽しみましょう〜