秋鮭の遡上が盛んな時期です。だからと言って石狩鍋ばかり食べてもいられませんが、鍋用の粗
や生の筋子が店頭に並ぶとそれなりに季節を感じてしまいます。今年は獲れたとか去年よりさっ
ぱりだとか、毎年そんなニュースばかり見せられると、すっかり漁獲量に敏感になってしまうので
すが、無ければ食べないだけと気が付くと、鮭の水揚げも心なしか冷静でいられます。元来、鮭と
言う魚を子どもの頃から川岸で見ていました。それも産卵後のホッチャリばかりで死後硬直の
始った魚体の姿は子ども心に人生の無常を感じたものでした。色気づくような歳になって、水中カ
メラで撮影された、魚床を作り産卵し先を争って白子を撒き散らす雄鮭の姿は、少なからず私の
人生に生物学的悲哀を決定付けました。その後の私の人生の指針は鮭の一生に依って影響を
受けることになりました。その論理的根拠は筋子と白子のグラム当たりの単価の違いであり、子
持ちシシャモとオスシシャモの売り場における扱いの差でした。そしてその論拠を決定付けたの
はトレーに入ったシシャモに貼られたステッカーでした。「子持ちシシャモ(オス)」。其処まで洗脳
されているのかと思わせるこの表現は、致命的なほどに此の鮮魚コーナーに於いてすら、メスの
優位性を確信させるものでした。以来、たちかまや白子のお吸い物を食べている人を見ると、若
干引きます。
北郷の外れの端の方にプレハブ風の小屋で営業を始めたお店がありました。冬はきつかったの
だと思います。