紀元規制法案、衆院通過
1600年半ば、中国・蘇州生まれの妓女、陳円円は有能な武将、呉三桂からとっても愛された女性です
妓女とは日本でいう芸妓さんのような職業です
しかしそのあまりの美しさに呉三桂が夢中になりすぎ、明王朝が滅びる原因を作ってしまった傾国の美女
明王朝にとって外敵から身を守る重要な砦である山海関任されていた呉三桂。
愛する陳円円を北京の父に預け自らは反乱軍と戦うため出兵しました。
呉三桂は皇帝との約束である、山海関を死守しようとしていました。
そこに父に預けてある陳円円が反乱軍にさらわれた、との報告を受けます。
なんと呉三桂は山海関をあっさりと捨て、敵である清軍と結託して北京を急襲し、陳円円を無事取り戻します。そして清は中華統一を果たし、清王朝を開くことができました。
呉三桂は高い評価を受けて王に列せられ、円円を正妻に迎えたいと申し出ますが、なんと円円はこれを断り出家してしまいます
もしかしたら円円は呉三桂のことをあまり好いてはいなかったのかもしれません
これほど大事に愛された陳円円が普通に羨ましいですけどね
中国四大美女としても有名な西施は、紀元前5世紀頃、貧しい薪売りの娘として産まれました。西施は谷川で洗濯をしている姿を見出されて越国の王宮へ召しだされた。その美しさは西施がたとえ乱れ髪で粗末な格好をしていても美しいかったと言われています。
実は越の国は弱体化しており、西施を呉王夫差に色仕掛けの工作員として送りこもうとしていました。
そのため西施は越国のため工作員として持ち前の美しさに磨きをかけるべく范蠡から後宮の作法、儀礼、歌舞音曲の教育を受け、さらに楼閣で男性をら惹きつける方法などを教え込まれました。
こうした西施に呉王夫差はすっかり虜になってしまい、豪奢な離宮まで建設を建てさせました。
呉王夫差は西施の喜ぶ顔見たさに大陸の覇権争いに執着し呉の財政覇権度重なる戦のため干上がってしまった
西施は越の国に復讐の絶好の機会であることを知らせ、密かに軍力を蓄えていた越は呉を瞬く間に制圧
呉が滅びた後の西施は、越王の夫人が彼女の美しい顔を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられたと言われています
また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説も。。
緑珠は3世紀ごろ生まれ、幼少のころより隣国に名が轟くほどの美人で笛の上手な妓女でした
その噂を聞きつけた大富豪石崇は、緑珠を身請けするため、18リットルの樽30個分の真珠を用意したほど
それ故に緑珠は 真珠の女″ と呼ばれるように。
超お金持ちの石崇はなんと1000人を超える妓女を抱えていましたがその中でも最も愛したのが緑珠です
しかしあまりにお金持ちすぎた石崇は目をつけられ、有名な緑珠を差し出せとの命令を出します。
石崇は『緑珠は私の女だ。そちらにはやれない』と頑として拒否しました。
しかし石崇の屋敷に兵士を送りこまれ観念した緑珠は泣きながら『あなた様の前で命を捨てましょう』といい石崇のため自ら楼から身を投げて死んでしまう
緑珠が身を投げた楼はそれから緑珠楼″ と呼ばれることになりました
たまたま人より美しく生まれたばかりに、政治に利用されたり、無残な最期を迎えたり短命だったりした美女たち。
紀元 帰ってくるあなたが最高のプレゼント
大上川神社
御祭神
天之御中主神
天照大御神
神八井耳命
2016年10月 参拝
ワタクシまだ北海道でグータラ過ごしておりますが、昨年の神社巡りの続きをお届けしたいと思います(*´?`*)
御由来
『大上川神社の御創祀は明治39年、入植者有志景勝地留辺志部に小祠が建立されたのに始まり、大正14年に福島県太田神社より天之御中主神の御分霊を奉遷・同年留辺志部より現在地(上川町北町)に移転す。
昭和7年創立許可が下され「大上川神社」と公称・昭和10年内務省より村社・昭和15年・紀元二千六百年記念事業として現社殿を建設現在に至る』
なんともノスタルジックな雰囲気がgoodです
目がクリクリっとした面白フェイスのかわいい狛犬さんがいましたよ撮ってないけど…( ̄  ̄)
写真上が合祀記念碑と地神碑
写真下が末社の稲荷神社
御朱印いただけました(*^ω^*)
大上川神社〒078-1744
上川郡上川町北町25番地